転職で年収が150万円上がった話

社会人8年目にして初めて転職をすることを決意しました。23年3月末までは、日系の大手教育系企業、4月からは外資系の大手コンサルティングファームにて働くことになりました。

こちらの記事では転職を考えるようになったきっかけから転職活動のプロセス、最終的な結果とそこから得た学びについてご紹介します。

 

下記のような想いを持っている方には特に閲覧を勧めたいです。

 

「転職に興味はあるけど踏み出すのが怖く迷っている」

「転職を通じて待遇を良くするにはどうしたら良いのか」

「今は転職するつもりはないけどいつかはしてみたいかも」

 

目次

1.転職を考えるようになったきっかけ

2.どんな軸で活動を進めたのか

3.選考の対策として何を進めたのか

4.実際の結果

5.何を学んだか

 

1.転職を考えるようになったきっかけ

1ー1.前職の業務の様子

 

前述の通り私は社会人8年目で初めての転職をすることになりました。簡単に自己紹介をすると、現在33才で、教育業界の大手企業に新卒で勤務しています。(2023年2月現在)

 

ずっと営業畑のキャリアを歩んできており会社からもこのまま営業の領域でキャリアを積んでいってほしいという期待をかけられていることは自覚していました。

 

新卒の際の就職活動では現職の企業が第一希望でした。学生時代に塾講師のアルバイトをしていて「人の成長に関わるのは楽しい。教育業界の企業に進みたい」と考えるようになり、その中での最大手企業でしたので、目指すのは自然な流れでした。また、そのアルバイト先の塾がたまたま第一志望の会社のグループ企業であったこと、自分が小学生〜高校生までの期間にその会社のサービスを受けていたこともあり親しみを感じていたことも志望するきっかけになりました。

 

運よく入社することが叶い実際に働くことになりました。配属となった事業部の業務内容は、全国の高等学校に訪問し模擬試験を学校の先生向けに営業するというものでした。生まれ育った東京都内ではなく、中国地方の岡山の支社への配属となりました。週の頭に車で他県の営業エリアまで移動し、週中はホテルに泊まり金曜の夜に自宅に帰るという流れで一週間を過ごしていました。

 

まあハードでしたね笑。東京出身で日常的に運転することがなかったのですが、いきなり車で3時間ほどかけて担当エリアまで行き、一日3〜4件訪問して自分の親くらいの歳の先生に営業をかける。一人の先生だけに声をかけても売れないので、職員室にも顔を出して座っている先生に声をかけて関係性を築いていく。ホテルに帰ったら日報を書き上司に業務報告。忙しい時は睡眠4〜5時間くらいで動いていました。

 

一年目はこんな感じで自分の業務だけやっていればよかったのですが、3年目くらいから新人育成、プロジェクトリーダーなども徐々に任されるようになり土日も当たり前のように働いていましたね。入社当初は働き方改革のような流れもまだなく、馬車馬のように働いていました…。その後7年目くらいからはいかに手を抜いて働くかを考えるようになったので、今となっては考えられません。

 

教育関係の大手企業ということもあってか同僚の社員はみなさんとても真面目でした。全員が学級委員長のような感じで、一つ一つの業務に決して手を抜くことはなくお客さんである学校・先生に対して貢献するのだ、という意欲が強い環境でした。高校生の時の私は、「文化祭とかあんまり面白くないしダルいから予備校行って勉強しとこ」と考えるような、学生時代に真面目に頑張るタイプではなかったですので、ややミスマッチだなと感じながら働いていたのでした。とはいえその後自分も上記のような社風に徐々に染まっていくのですが…、、

 

忙しいながらもお客さんは良い方ばかりでしたし、徐々にできることが広がっていき成長実感を得ていました。社会人としての最初のキャリアを、この会社の営業として積むことができたのはとても良い経験であったと今でも思います。

 

1−2.評価への納得感の低さ

入社5年目に営業数値で結果を出すことができました。同じエリアを担当して3年目となり、担当しているお客さんとも関係ができてきていました。どの学校・お客さんにこうやって営業すればこうやって結果が出せる、という仮説が自分の中で構築できてきた頃でした。その通りに実行した結果、かなりの数値が出て自分の中ではとても満足のいく結果を得ることができました。

 

期末にその年度の評価を上司から言い渡されることになりました。当然成果を評価してもらえるのだと思っていたら、なんとB評価でつまりプラス査定はなしでした。「これでプラス査定にならないのなら何をやってもプラスにはならないのでは」、と落胆しました。

 

失意の中で翌年度の業務に。そこに追い打ちをかけるような出来事が。その年に配属となった新人が営業職との相性が悪かったらしく、年度途中で休職することに。復帰後は別の業務にあたることとなり元々新人が担当していたエリアの担当が不在になってしまいました。そこで私は自分のエリアを担当しつつもその担当不在エリアも兼務させられることになったのでした。

 

「●●(私のこと)であれば優秀だから2エリアの兼務も問題なくできるよ」と上司から言われかなりの無茶振りな采配をされたのでした。従来であれば年度途中に欠員が出た場合は、課長やリーダー職の方がそのエリアのフォローに回っていました。ただ残念ながらその年から赴任した上司の方針では、課長やリーダーといった上司ではなく私に欠員エリアのフォローを任せてきたのでした…。この課長は全社的にも評判の悪い方で、マネジメント能力に問題があるとされている方でした。会社員が辛いのは自分で一緒に働く人・環境を選べないところですよね。。

 

この頃は毎日4時半に起き、起床直後から仕事。朝から学校を周りホテルに戻った後は育成担当の新人の世話も含めたデスクワーク。寝るのは12時前という生活でした。これだけ仕事をしても平日には終わらず、土日も3〜4時間ずつはPCを開いて仕事をしていました。ストレスで暴食するようになってしまいそれまでより体重が7〜8キロぐらい増えてしまうなど体調にも影響が出てしまったのでした。

 

こんな働き方の甲斐もあってか、その年度の期末にはプラス評価をもらうことができました。さすがに課長も、「こんな働き方をさせたのだからせめてプラス査定にしてあげよう」と思ったのかもしれません。ただ残念なことにプラス評価になっても大して給料は増えませんでした。確かボーナスが数万上がったくらい?だったように記憶しています。

 

前職の会社では大体7年目くらいで等級が1つ上がる人事制度になっています。日系大手企業らしく若手の頃の評価は基本的に横並びです。私には、同じ支社で働く同期が自分以外に二人いました。一人は、5年目の時に他の支社から異動してきた同期A。もう一人は入社1年目からずっと同じ支社で働いてきた同期Bでした。

 

後者は、あまり体が強くなく一年目から休みがちであまり訪問ができない時期がありました。その辺りの状況もあってか、私ともう一人途中で他支社から異動してきた同期は徐々にリーダー役や新人育成の担当などもアサインされるように。同期Bはそういった自分のエリアの数値達成以外のアサインは少なく、「体調を整えて自分のエリアでの数値達成を第一に頑張れ」という会社からのメッセージだったのかもしれません。

 

先述した等級が上がるタイミングにおいては「私と同期Aは同時に上がるのだろうけど、もう一人のBは今年は上がれないのだろうな」と思っていました。ただ実際に蓋を開けてみると、3人とも同時に等級が上がっていたのでした。別に同期Bに対して不満があるわけではありません。Bも優秀ですし人格的にも優れている人材です。ただ、営業担当としての会社への貢献度で考えると明らかに私や同期Aと比べると劣るはずでした。「なるほど、これが年功序列か」と実感させられました。

 

これらの経験から、「結局どれだけ頑張って結果を出したとしても評価してもらえるかはわからない。仮に評価してもらえたとしても対して待遇は変わらない。評価と自分の出した成果には関連性はない。つまり、給料を上げていくという点については頑張っても無駄だ」ということに気づいたのでした。私は、20代後半から30歳にかけては仕事に全てを捧げました。それによって自分のスキルを伸ばせた部分は確かにありますしそこは会社に感謝しています。ただ、適正な評価をしてもらえたかどうか・適切な待遇をもらえたのか、という観点に絞っていえば納得感はありません。

 

1ー3.転機

この頃に「会社の仕事の成果と年収にはあまり関連性がない」ということに気づいたのでした。もちろん、不動産関連や外資の保険の会社などフルコミッションの職種であれば成果と待遇が直結するのだと思います。でもそうではない、いわゆる普通の日系企業だと終身雇用を前提とした年功序列の制度が生きているので成果と年収が結びつきません。

 

前職は国内の教育事業がメインの業態です。言うまでもなく今後の少子化の進展は留まるようには見えず、ゆくゆくは業績が悪化していくのだろうという漠然とした不安がありました。同年代の友人と比べると、確かにもらっている給料は多少良かったかもしれません。ただ、同じ会社の上司や先輩を見ていると、仮に1,000万くらいもらっていたとしても住宅や車のローン、子供の学費などで生活がカツカツで余裕のある生活をしているようには見えませんでした。

 

体育会系の気質の営業組織でしたので良く先輩に飲みに誘っていただきました。以前の上司は、営業担当として優秀な方でしたのでその頃の武勇伝をよく話してくれました。私はお聞きしていて「当時といまの市場環境が違いすぎて聞いていても参考にならないなあ」と思いながら時間が過ぎるのを待っていました。

 

散々話を聞いてあげて、グラスのお酒がなくなったらお酌をするなどして奉仕したのに、いざ会計をするとなるとまさかの割り勘でした汗。「業務時間外にこんなつまんない話に散々付き合わされて金払わせるのかよ!罰ゲームじゃねえか」とショックを受けました。こんな上司みたくなりたくないなと思ったのでした。ただその一場面だけを切り取ると嫌な思い出でしかありませんが、ゆくゆくこの時の想いを「この会社にいつまでもいたらダメになる。転職や副業をして早く抜け出さないと」というエネルギーに変えて頑張ることができました。そういった意味では当時の上司に感謝しています笑。

 

漠然と「今のままだとまずい。会社に依存していたら上司みたいなダサいおっさんに成り下がるだけだ」という想いを持ちながら、会社以外に頑張る対象を見つけようと模索しました。元々興味のあった投資を行おうと考え、紆余曲折あり岡山で出会った不動産投資家の皆様のお世話になりながら、不動産投資の世界に足を踏み込んでいくことになります。こちらについてはブログの別記事に詳しく書いています。

 

またその後私は東京に転勤することになります。赴任先で出会った当時の彼女(現在の妻)が先に東京に転勤となり、元々自分の地元であることもあり私も会社に希望を告げて東京に異動させてもらいました。プライベートな事情を勘案して勤務形態に反映させてくれるところは前職に感謝しています。

 

東京でも不動産は続けたいと考えました。東京で不動産のコミュニティにいくつか顔を出してみたのですが、みなさん戸建ではなくて融資を引いて一棟ものを運営しています。岡山のコミュニティよりも大きな企業に勤めている高属性の方が多く、その属性を利用して不動産事業に活かしていらっしゃる方が多かったです。私も影響されて一棟ものの取得を考えるようになりました。岡山で戸建10個を保有していて2023年2月末現在で満室運営できています。それなりの事業基盤を築き自信もついてきたので近い将来アパート経営に乗り出すつもりです。

 

その時々の融資の情勢や金融機関によって考え方は変わるのでしょうが、一般的には年収の10倍の額まで融資を引くことができる、とよく聞きます。仮に年収が100万上がれば引っ張れる融資の額は1,000万伸びます。前職でもそれなりの給料はもらっていましたが、「この会社で頑張ったところで勤務年数が伸びていくペース以上に年収は上がらない。若いうちにもっと給料をあげて一棟ものを買うための属性を上げたい」、と考えた私は転職を考えるようになります。異動してからの部署は、以前の部署ほど激務ではなくゆとりがありました。

 

「転職なんてせずにこのままゆったりと日系大企業でサラリーマンをやり空いた時間で副業にフルコミットしようかな」と思ったこともあります。でも自分にはそのスタンスは合わないと判断しました。与えられたサラリーマンとしての仕事にフルコミットできない自分が嫌いだと思ったのです。入社5年目、自分のお客さんのためにフルコミットして頑張れた自分の残像が残っており、その時の自分が「そんなゆったりと手をぬく働き方をしていて良いの?」と言ってきているような気がしたのです。

 

2.どんな軸で活動を進めたのか

このような経緯で転職を考え始めた私でしたが、重視したのは下記の3つの軸でした。

 

A.年収を増加させる

B.将来的な独立につながる仕事内容

C.転勤がないこと

 

A.年収を増加させる

どれだけ頑張っても給料が年次の進行以上のペースで上がらないことに強い不満を持っていたのは記載のとおりです。分不相応な高望みなのかもしれないが、「自分の能力ならもっと高い給料をもらっていいはず」という根拠に乏しい自信はありました。また、一棟ものの取得のためには融資を引く必要があり、そのために属性を上げたいという狙いもありました。

 

B.将来的な独立につながる仕事内容

私は人の言うことを聞いてその人が指示する通りに仕事を進めていくのが嫌いです笑。その点、私はあまり会社員に向いていないのだと自覚しています。ただ仕事は嫌いじゃなくむしろ好きなので生涯ビジネスパーソンとして現役でいたいという想いがあります。現在33歳の私が高齢者と言われるようになるころには定年の年齢が何歳になるのか想像ができませんが、会社員として勤める限り、いつかは退かないといけないタイミングが来ます。その点、自分が経営者になる、もしくは個人事業主として働くことを選択すれば体力と気力が続く限りはいつまでも働けると考えました。

 

不動産からの収入だけで生活を成り立たせる、いわゆるFIREを実現したいという想いもあります。しかし仮に不動産の運営以外に仕事がなくなったら暇すぎて不幸になってしまう気がしています。そうなるともう1つ自分のエネルギーを注げる事業の柱を持っておく必要があり、それが会社員として働く以外の形態であった方が良いと考えました。いわゆる、手に職をつけて独立できる職種であることが大切だと考えたのです。

 

C.転勤がないこと

私の両親は離婚しており、幼少の頃から母一人に育ててもらってきました。母は私が岡山に赴任となった際には心配し、心細く感じたのだと思います。今後も母は結婚などする予定はなさそうですし、東京で同居はしないまでも物理的に近くにいた方が良いと判断しました。母親に私の赴任先に越してきてもらうという選択肢もありましたが、母が生まれ育った東京から離れたくないという気持ちもあるでしょうから、私が東京に居続けることにしました。

 

また、不動産賃貸業を営む上でも転勤のリスクはなくす必要がありました。岡山で不動産投資を始め、不動産屋さんやリフォームの職人さん、ガス屋さん、金融機関の担当者の方など様々な方の力を借りながら事業運営してきました。ただ住む場所・事業を運営する場所が変わるとそれぞれの皆さんの力を借りることができなくなり、新たなネットワーク構築が必要となります。これが本当に大変なので、以後もう転勤がない職場にしたいと考え、この点も重視したのでした。

 

上記の3つの軸を満たすと考えたのが、コンサルティング業界でした。コンサルティング業界は、クライアントである企業の経営課題を解決することをビジネスにしている会社の業界です。

 

コンサルティング業界への転職を果たせたら、先述したA〜Cの軸を叶えることができると考えました。

給与の面で言うと業界的にコンサルはかなり高待遇です。近年コロナ禍の影響もあってリモートワーク推進など企業のDX化支援がホットなトピックになっています。こういったノウハウを自社で保有する会社はまだまだ少なく、コンサルティングファームに依頼してくることが多く各社募集は拡大の方向性のようです。

 

会社員として年収を上げていくために必要なのは、「その会社でどう働くか」よりも「どこの会社(業界)で働くか」の方がよっぽど重要であることに気づくことが大切です。そのことに気づかせてくれたのが下記の書籍です。 

 

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転職に少しでも興味がある方には必ず読んで欲しいです。

 

もちろん先ほどの軸は私が考える軸であって転職を考える方々それぞれで軸は異なるはずです。自分が企業を洗濯していく上で何を重視するのかは明確にして置けると後から迷うことがなくなりますのでぜひ考えてみられてください。

 

3.選考の対策として何を進めたのか

主に進めたのは下記の2点です。

 

●想定問答の回答準備(志望動機・自己PRなど)

●コンサル特有の対策(ケース面接・フェルミ推定中心)

 

コンサル特有の対策について補足します。

例えばコンサルティングファームであれば下記のような問題が出題されます。

 

例題:シカゴにはピアノの調律師は何人いると推定できるか

 

回答例:

上記は「(A)シカゴにあるピアノの数 ➗ (B)調律師一人あたり年間で調律できる回数」で求められる。

 

(A)シカゴにあるピアノの数

シカゴの人口を300万とする。

1世帯あたり平均3名いるとすると、シカゴの世帯数は100万世帯と推計できる。

 

ピアノがある家庭はおおよそ10世帯中1世帯とすると、シカゴにあるピアノの数は

100万世帯 ➗ 10 = 10万台と推計可能。

 

(B)調律師一人当たり年間で調律できる回数

・一台の調律にかかる時間が1時間程度

・世帯間の移動が1時間程度

・一日8時間労働

これらの条件から、調律師が1日に対応できる調律件数は3件ほど。

週休二日で365日稼働、長期休暇や祝日も考慮して働く日数を220日と仮定すると、

 

3件/1日 × 220 = 660件

となります。

 

これで(A)、(B)がそれぞれ求められましたので、

10万台 ➗ 660件 ≒ 150人

と推計ができました。

 

こんな形で予想できる数値から演繹的に積み上げていき解を求めるのをフェルミ推定と呼びます。

 

コンサルティングファームにおいては、企業課題を解決するために様々な情報を集めていくのですがどうしてもネットや書籍で調べてもわからないデータなども出てきます。その場合、上記のような仮説を立てて数値を当てはめどんな解決策が適当なのか判断していく場面があります。その素養があるかどうかを選考でも判断するのです。こういった問題への対策は毎日取り組んでいました。

 

本格的に転職活動を始めたのが10月からでした。10~12月中旬までの80日間は1日1時間程度、12月中旬〜1月までの40日は1日3時間ほど転職活動に費やしていましたので、大体200時間程度は時間を使ったことになりますね。

 

あと伝えておきたいのは、「転職エージェントは必ず使った方が良い」ということです。エージェントから例えば「●●社はこういった質問を聞いてくることが多い」などのような傾向と対策の情報を教えてもらえることがあります。また、エージェントの利用にかかる費用は求職者側には基本的にありません。成果報酬として、企業がエージェントに払う費用でビジネスが成り立っています。

 

4.実際の結果

 

コンサルティング業界中心に選考を進めていきました。コンサル会社は15社ほどエントリー、最終的に通過したのは1社でした。他にも、法人営業の経験を活かして営業職としてエントリーしたのも5社くらいありました。

内定を得られた会社は、業界の中でも急成長中の会社であり第一志望群の中の一社でしたのでかなり嬉しい結果でした。世界の企業の時価総額ランキングで50位以内に入るような会社であり初の転職にしては満足のいく結果を得ることができました。

 

コンサルや事業会社を含めて計20社ほど受けたのですが、日系企業では年齢を理由にお祈りされるケースが多かったです。日系企業企業はおそらく年功序列で年にあった給料を支払う⇨33歳の候補者を採用するためにはある程度の業界経験がないとダメ、という考えのところが多いのだと思われます。

 

その点外資系は年齢や性別で差別しないと採用場面で明言しており、年齢は関係なく実力でフラットに判断してくれているという感覚を受けました。

 

「自分のことを採用してくれたから」というバイアスもかかってしまっているのでしょうが、優秀な人材は日系企業から外資にどんどん流れてしまうように思われます。グローバルな規模での面白そうな業務内容、フラットな実力評価主義、意味不明な全国転勤の制度がないこと、高待遇などを考えるともう日系企業には絶対に戻りたくありません。

 

転職先にて提示されたオファーの額は前職から2割ほど増額された額でした。もともと目指していた「年収アップ」、「将来的な独立も見据えたコンサル職」、「転勤がない」、といった全ての軸を満たすことができたため100点満点の転職と言って良いかと思います。

 

額にして150万くらいは上がりました。

私が保有している築古戸建ての年収でいうと3戸分くらいですね笑。

その効果が次の勤務先での勤続年数分持続しますし、且つそれが借入ゼロで獲得できたわけなので十分200時間の投下の割りに合う努力だったと感じます。

 

5.何を学んだか

 

大きくは下記の5点です。

  • 会社の仕事を頑張ったからといって給料が上がるとは限らない。「給料を上げる」と言う点で言えば転職や副業に取り組んだほうが効果的。
  • 転職することにはリスクは伴うが、転職活動自体にリスクはない。活動をし、仮に待遇が悪化するオファーをもらったとしてもそのオファーは承諾しなければ良いだけ。世の中に数多ある会社の中で「現職が最高の環境」と思えていないのであれば転職活動はした方が良い。
  • 高嶺の花のような存在の会社だとしても、タイミングによっては採用のハードルが下がり内定を獲得しやすくなることがある。常に転職活動を続けてそのタイミングを捉えられたら儲け物。
  • 新卒で入社するのが難しい会社でも、中途であれば取ってくれるというケースもある。
  • やる前から諦めない。動けば何かが起こると信じる。

長い記事になってしまいましたが読んでいただきありがとうございました。特に自分の同年代や後輩くらいの若手社会人の皆様にとって、自分の可能性を信じてもらえる、そんな内容になっていれば幸いです。最も伝えたいのは繰り返しになりますが、「やる前から諦めるな。行動すれば何かが起こる」という点です。転職活動に限らず、仕事や恋愛など何にでも言えることです。皆さんの社会人生活において参考になる内容が少しでもあれば幸いです。